アジアの街角、ヒーリンググッズ(癒しグッズ)仕入れ旅行記 |
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ネパールの街角からヒーリンググッズ(癒しグッズ)仕入れ過去記 |
●ネパールの富士ゲストハウスの続きです。前々回に関空でのRNのフライトキャンセル事件でBKK経由になって、尚且つ着いた日が1日遅れたためストに遭遇したお話はしましたがトラブル百戦錬磨の私と布袋様は<ふむふむこれも良い経験>だとのんびり構えていました。 帰国が迫ってきて、当日もマオイストのストが有りそうだとの話が有っても<ん----ついてないねー>で済ませていました。心配している他の日本人旅行者の人達にもネパールはこんなもんですよと余裕です。 RNの出発時間は23時00分なのでトリブヴァン空港に余裕で早めに行くと21時に玄関を開けるとの事で待たされ<役人は融通が利かない>と一緒になったNPOの人達と話していました。良い経験が悪い経験になったのはここからです。21時になり玄関が開いて入ろうとした瞬間です。扉を開けたRNの職員が大声で・・・・・と言ったのです。 一瞬のうちに待っていた日本人約15人の罵声が飛び交いました。ふざけるな、昨日ちゃんとリコンフォームして有るぞ、アホー、機材繰りで飛ばないのはそっちの都合だろ、明日の仕事に間に合わないぞ弁償しろ、RNAのでたらめをインターネットで世界中にばら撒くぞ、1000万よこせ?国王を呼べ?切腹しろ?酒をだせ?俺だけ良い思いをさせろ?この後の香港行きが飛んでなんで日本行きが飛ばないのだ、その飛行機に乗せろ・・・・・。どうせ日本語は分からないだろうと針小膨大、嘘八百、阿鼻叫喚、極悪非道なことを喚き散らす日本人約15人と同行二人でした。 30分以上喚くとそれ以上言うことが無くなり静寂が訪れました。RNの職員はおもむろに言います。今日のホテルは用意します、明日BKK経由KIX行きの飛行機を手配します。それでお許し下さーい、いいですね!。ぐやじいけれど拒否権はありません。 暫くしてバスが迎えに来てみんな乗り込みました。なんだか静かでこっちが悪いことをしたみたいな雰囲気です。着いたらちょっと立派なホテルで安心したのもつかの間で、フロントが部屋数が無いので二人部屋にすると言うのです。ついに逆上した私は一番前に行き鍵を配るホテルマンのデスクを無言でこぶしで叩きました。布袋様も一緒です。彼は一瞬たじろぎましたが流石です。間をおき周りに聞き取れない小さな声でIt possible to weitingと言います。後ろに戻り叩いたこぶしが痛いとさすりながら待ちます。 最後になりシングルの鍵を受け取った私はにんまりほくそ笑むのでした。でもリスト良く見ると男性客の数は奇数でした。してやられたと思いつつ結果良ければ全て良しと思いRNAが手配した食事を済ませる同行二人でした。さてさてこれで関空に帰れればこれもまた良い経験で終わったのですがまだまだ明日の心だー。次に続く ●レストランの片隅でビールを飲んで満腹になって部屋に戻りシャワーを浴びようとコックをひねったとたんに出てきた水はなんと茶褐色だったのです。シャワーノズルを見ていた私は反射的に身をそらし事なきを得たのでした。カランを開けてみたらやっぱり同じです。フロントに文句を言うのもめんどくさいので暫くほっといたらきれいになりました。いつもは使わない部屋を使うと・・・・・。では次にトイレと用を足したまではいいのですが水が流れません。mu mu mu・・・・・・・。バタンと思いっきりドアを閉めて寝てしまいました。どうせ困るのは掃除係りだーーーー。 翌朝マオイストがスト中の街中をバスでRNの事務所に行き、さあタイエアー(TG)の切符をと思ったら最後の災難が起きました。タイ(BKK)〜関空(KIX)までが満席でキャンセル待ちだというのです。15人の日本人は悲鳴を上げましたがみんな疲れきっていて文句も言う元気もありません。布袋様も困って日本に帰らないでこのままヒマラヤを越えて中国にいる親戚に遊びに行きたいと言い出します。勝手な・・・・・・。 1時間2時間と経ちますが進展しません。疲れきったご婦人がよよと倒れます。でもようやく元気が戻ってきてとにかくBKKまで行かせろと騒ぎ出します。ここでラッキーがおきました。私は駄目モトで最後に開いたパソコンに並んでいたのですが、この日本人グループだけシンガポールエアー(SQ)に空席が出たのです。 ぶつぶつ文句を言ったかいがありました。でも担当の小母さんが男子職員に文句を言われています。聞いてみるとSQを使うとBKK〜KIXの割増料金を払うことになるので禁じ手だったのを、その担当小母さんは承知でとってくれたのです。RNは嫌いになったのですがサリーに包まれたちょっと太った小母さんは好きになってしまいました。体格がちょっと似ていた布袋様も納得です。 他のグループもBKK〜KIX座席確保保障なしでBKKに向かうことになりました。 そうと決まれば善は急げです。飛行場までのバスを出せとかで小競り合いをしましたがそれもままならず追い出されるようにネパールを後にしたのです。TGの中で呑んだ冷たいシンビールとスッチーの笑顔で生き返った同行二人でした。 BKKに夕方戻り23時発SQ迄の間NPOの人達と飲んだくれ時間調整して今回の旅行はやれやれで終了しました。 しかし私も人の子ですのであまり他者の悪口は言いたくありませんがネパールのナショナルフラッグRNは週2回のKIX直行便をなんと考えているのでしょうかね、全く。 後で聞くと<岡島さん乗れなかったのは幸かもしれませんよ、RNの機体はぼろでいつ落っこちても驚かない>と言われまし。aaaaaa・・・・そんな考えもあったのか。 終わって文章にするとこんな感じですが無事に帰れたのでやっぱりいい経験となるのでしょうか 皆様のご感想をお待ちしています。 ●カーゴ屋の佳代さん 今回通販しているティンシャは一個当たり約300gです。 日本に帰る3日前にパタン(カトマンドゥからクルマで30分ちょっと)のティンシャー製造工場長と店長のPradufさんの気迫と私の欲が混ざり合って何を血迷ったのか大量に仕入れてしまいました。でも仕入れたのは良いんですがホテルで重量計算したら???sです。 前回中国で国際貨物の手続きに悪戦苦闘して大量の髪の毛が抜けて布袋様に似てしまったのが思い出されて・・・。悪夢がよみがえります。 <私>おーい布袋様、担いでいる袋はどれくらい入るんですか〜。 <布袋様>馬鹿者め、金銀財宝なら幾らでも入るが煩悩を打ち砕くティンシャは108迄と決まっておるわ。 <私>?????<布袋様>・・・・・・・・・。と言うわけでその晩はホテル近くの一太という日本食レストランで美人日本女性二人のツーリストと同席になり冷たい(さすが日本人相手)ビールを飲んでホテルに帰り幸せ、不幸せと呟きながら寝てしまいました。 翌朝、関空からご一緒になったNPOの陽子さんに美味しいお茶と梅干をご馳走になり(ほんとにご馳走様でした)ふむふむと言いながらも事態は改善されません。考えても々名案なんか出てきません。と思いつつ昼になり、昨日飲んだ冷たいネパールビールが呼んだのかはた又美人日本女性二人組みに会えると良いなと妄想が湧き出てきて足が一太に向かいました。 前置きが長くなりましたがここからが佳代さんとのよもやま話です。 一太への階段の横にTheAtrasExportCo.(AtrasCargoService)の看板がありなんと<日本語大丈夫>と書いてあるではありませんか。ウワーと声がでて突入です。そこで見たのは久しぶりの(4日ぶり)ミステリアス スマイルでした。お腹が空いていたので得意の値引き交渉もしないで<ねー日本人同士なんだから後は全部頼むよと>言ってお願いしてしまいました。料金は1s4ドル弱でしたが中国とほぼ一緒でした。 佳代さんの姓は祓川と言い関西出身でネパールに遊びに来て、ご主人のSudarsunさんと結婚して居着いたそうです。こんなところで(失礼)よくもマー、ネパールに居着いた人に出会えるとは思いもよらずチャー(ネパール茶)をお代わりして更に昼食をはさんで結婚までのいきさつ、食べ物、病気、気候等々話し込んでしまいました。 翌日も何もすることが無いので<明日帰るんだけどマオイストのストだよね、どうしよう>と大した用事も無いのに布袋様共々出かけました。お忙しいのにごめんなさいでした。 そんな訳でカトマンドゥからのお土産、荷物の発送はTheAtrasExportCo.(AtrasCargoService)977-1-4252268を宣伝させていただきました。又現地で日本語が恋しくなったらお立ち寄りしてみてください。場所の目印はタメル地区日本料理屋の一太です。 ●ネパールのGDIは350〜400jで国際連盟加盟国の一番最後です。失業率も30%を超えており布袋様共々担いでいる袋の中の財宝が続く限り継続的に訪問することにしようと思いました。 旅行中に知り合ったNGOの方が話していたのですがネパールでは毎年公式発表で15歳になった少女が1.000人以上人身売買されているとのことです。最近ではネパール現国王政権に反対するマオイストの動きが活発化していてストライキも多発しています。観光国家のネパールが政情不安だとお客さんも減っちゃうし困ったもんだなーと思いますがいかんせん・・・・・・。 ●ボダナートへの思い(HP開設最初の写真):ネパール最大のストーバ(仏塔)が建つチベット仏教の聖地です。ここは世界でも有数のチベット文化の中心地となっていて、周辺には多くの僧院がありチベットの人達もたくさん住んでいるそうです。僧院では瞑想、チベット仏教の修行、文化の伝道等が行われています。私みたいな煩悩の塊にとっては死ぬまで生活しても俗人で終わりそうです。機会がありましたら是非お出かけ下さい。 ●ネパールに行きたいと思った方はいらっしゃいませんか?観光であれNPO,NGOでも初めて行くのであればやっぱりヒマラヤを見たいですよね。見たいと言うことで行く季節は秋から春までです。それ以外は見えたらほんとにラッキーです。私は2回行きましたが冬のポカラからは毎日見えました。それでもカトマンドゥからはちょっときついですよ(冬でも厚着する必要はありません)。
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インドの街角からヒーリンググッズ(癒しグッズ)過去仕入れ旅行記 |
●インドは<混沌>としています。5都市を周りましたが共通したアイダンティが無く、貧富の差が激しくとんでもないぐらいに不思議で出鱈目です。 乞食のあまりにも不条理なバクシー(お金を恵んでください)の請求に腹が立って手持ちのルピー紙幣を粉々にちぎって叩きつけた事もあるぐらいです。(もちろん小額紙幣で安全を確認してからやったことですから真似をしないでくださいね) ●インドの街角で食べる デリーで冷たいビールを置いてある酒屋を探しているうちに疲れ果て、店先でタンドリーチキンを焼いている食堂に入りました。珍しくがんがんに冷房が効いていて愛想がいいのです。でも愛想がいいのは店長だけで、彫りの深い眼窩から強い眼差しの瞳を向けてくる若いウエイトレスは奥から出てきませんでした。 布袋様共々何もタンドリーの釜に入れて焼いてしまうなんてことは無いんだからとぼやきつつ飲んだビールはやっぱり温く、たまらなくなり店長にアイスキュービックをお願いしました。店長はこのジャパニーズは何とかかんとかと言いながら近くのお店に買いに行ってくれました。そして焼きたてのタンドリーチキンと妙に味の無い野菜カレー、冷たいビールを心行くまで楽しく飲めたのでした。 ●インドでの健康 乾季の気温は軽く40度を越え乾いた熱風※は諸々の雑菌を運んできます。病気への対策はこれといってありませんが生水と中身が水道?の格安ミネラルウオーターには手を出さないで下さいね。 インドには500mlボトルが無く1Lボトルだけです、これはすぐに温くなり重たくて不便なので空き瓶持参で詰め替えを薦めします。又アジアには殆ど自動販売機というものはありません、有っても大多数は壊れていて入れたお金は戻ってきません。 ※40度以上の乾いた熱風とは例えて言えばヘアードライヤーを自分に向けているようなものです。 ●インドの1人当たりのGNI(国民総所得)は500ドル弱です。 その商売のやり方はリピータなんか関係ないよ、取り敢えず今日の食事代をもらえれば旦那様、明日の分までくれるならご主人様、10日分食べさせてもらえるならお大臣様、1か月分も稼がせてくれれば貴方は神様だと言う世界です。それに嘘八百と誇大広告が入りますと布袋様共々のけぞって後頭部をしたたか道路にぶつけてしまうのではないかと思います(おー怖い)。 読人知らずですが少し田舎に行って1.000ドルも見せれば街一番の美人を嫁にやると言い出すそうです。 ●デリーの日本人 飛行場で会った一人旅の学生?と話をしていたら、彼はインドに来て3ヶ月経つと言います。貧乏旅行なので広いインドを汽車で回っているそうですが、それはそれは聞くも涙語るも涙の極貧体験物語です。インドの汽車の一番安い切符は座席の下らしいのですが、その席はすえた臭いと身動きできない狭さ・レールの継ぎ目を直接受ける振動で「おいおい俺は貨物かよ」とか「インド人からも憐れみの視線」を浴びさせられていささか参ったとの事です。極めつけはそんな貧乏人からも物を盗もうとする人間がいてパスポートとかカメラをしまう場所を必死になって考えたと話します。彼にとってのインドは嵌るかもう二度と来たく無いかどっちになるのでしょうか、答えは日本に帰って半年位経つと薬が切れた状態になるのですぐ分かります。 話を戻すとバックパッカーなんてバックを盗まれちゃえば一貫の終わりですし路地裏で何かあればすぐに消息不明の日本人になってしまいます。日本外務省はスマトラ沖地震のときに被災した日本人から帰国旅券を有料で発行(その後反省したと見えて返金)するぐらいで役に立ちません。自己責任の範囲とリスクの管理をきちんと把握した上で好奇心を満たしましょうね。 ●インドで水を飲む インドのデリーですが乾季でも温度は簡単に40℃を超えます。歩いていても食べても寝ても汗をかきます。当然街角でミネラルウォーターを買って飲みますがデリーでは街中で井戸から水を汲み上げて1ルピーで売っています。布袋様にお願いして天秤を借りて水売りの商売したいと思いましたが肝心のバケツが高いのであきらめました。 ●以前インドは嵌る人ともう2度と行かない二つのパターンがあるとお話しましたが、今回は個人旅行で初めてインドに遊びに行く人向けのお話です。インドに嵌るも二度と行きたくなくなるのもガイド次第ですのでここが肝腎要です。 最初はまずご近所の(無ければ一番近くの)インド料理屋に行ってそこのインド人と仲良くなりましょう。そしてインドのどこの出身か確認してください。この時にバックパッカー御用達の<地球の歩き方>を持っていると話は早いです。出身地を<地球の歩き方>に沿って説明できるぐらいなら一安心です。 もし説明できないようであれば他のインド人を探しましょう。あとは彼もしくは彼女に予算と行きたい所を言えばほぼ安全なガイドと移動の車を見つけてくれます。決してガイドを現地で探そうなんてことは止めて下さい。ツーリストが騙されるのはインドとの最初の接点の旅行会社からです。 インドはVISAが必要です。時間が有る方はご自分で、無い方は航空券を買うときに旅行会社で取って貰います。格安航空券の会社はVISAはご自身でと言います。 成田からの直行便はJALとインド航空のデリー、ムンバイ行きのコードシェアー便だけです。遊びに行く場所が決まりましたらご一報下されば分かる範囲でご案内いたします。 ●インドで騙される デリー空港からタクシーに乗ってクラークホテルまで行きましたが、どうも良くわからないのが交通機関でした。アジアの多くの飛行場では出口に客引きが群がっていて、その値段交渉から旅行が始まるのですがデリーではそれが見当たりません。代わりに建物の中にたくさんの旅行会社のカウンターがありそこでチケットを買うシステムになっていました。 緊張のイミグレーションが終わり疲れ果て更に両替してほとんど誰もいなくなった待合室から表を見ても路線バスとかタクシーが見当たりません。おかしいと思いつつカウンターに寄ったのがケチのつきはじめでした。早口の英語と深い眼窩の中からの眼差しの気迫に負けて言いなりの値段で金を払ってしまいました。布袋様は待合室のベンチに座ってボーとしています。後で聞いたらその料金は10倍だと言われ布袋様はいつから疫病神に変わったんだと毒づきましたが後の祭りです。 タクシーの正しい乗り方はカウンターで価格交渉をして乗り場でそのカウンターが呼んだ指定の車に乗るんだそうです。又路線バスはちょっと離れた所にあってそこまで歩くと言うことでした。次回は騙されないぞーーー。 でもこれぐらいはかわいいほうだと言われましたが、今頃あのカウンターのインド人はJAPANIは優しいお金持ちが多いとほくそエンでいるでしょうね、これから行かれる方はしっかり値切ってくださいね。 |
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タ イの街角からヒーリンググッズ(癒しグッズ)過去仕入れ旅行記 |
タイでホテルが取れないのはこの期間と正月、4月の水掛け祭りの年3回です。でも取れなくてもなんてことはありません。チェンマイの冬は夜でも20℃以上あるので一晩中お酒を飲んで酔いつぶれてもどこかのお寺の境内で寝ていれば勝手に朝はやってきます。勝手にやってきた朝に向かって毒づいても何も始まりません。 二日酔いで痛い頭が喚きます。 「布袋様さっきまで隣に座って手を握って目を見つめ合った・・・・・はどこに行ってしまったの????」 「何を馬鹿なことを言っているのだ。酔いつぶれて寝てしまった男に付き合うほど暇な・・・はどこにもおらん!」 と怒り狂っています。何で怒っているのか分りませんが・・・・・・・退散です。 又ある時はお寺の門前で目が覚めると顔のところに小銭が置いてあります。タラート(タイの市場)で朝ご飯が食べられるぐらいの小銭ですが何で私に・・・・・・・。tohohoタイの人は親切ですね、お坊様の托鉢もそうですが朝のお参りをして私にもお賽銭?か、恵まれない人に愛の手を差し伸べているのかどっちなんでしょう。人の親切は大事にしましょうね。 チェンマイで過ごしていると白人系旅行者のたくましさを感じます。彼、彼女らはバンコックから汽車で750km12時間以上掛けてやってきて更に2q歩いて市の中心部でゲストハウスを探します。その後レンタルバイクを使って街中を走り回り自分の居場所を作ってしまいます。ちょっとまねが出来ませんが自分のしたいことをストレートに表現するので誤解を招いているようです。 さすがに野宿が2日以上続くといい加減にしてくれと体が求めますので3日以上の宿泊予定の場合は必ずホテルの予約を取ってから行きましょうね。取れない場合はパック旅行がお奨めです。 注、タイでバンコックとか更に南に行くと乾季でもスコールがあるので眠るどころではありませんし安全度も?が付きますのでご注意くださいね。ちなみにチェンマイでは昨年の雨季に3度も町中が水浸しになりました。バンコックも最近こそ無いものの以前はよく水が溢れていました。昔水路だったところを埋め立てれば当たり前の話ですよね。 タイの雨季と乾季について;わりとはっきりしていて5月中旬〜10月下旬が雨季でそれ以外が乾季です。又3月から雨季までの間が暑気となっており1年中でもっとも暑い日が続きますのでゴルフ等屋外スポーツははそれなりの対策をおとりくださいね。雨季は日本の梅雨とちょっと違って一日に何回も傘が役立たないほどの雷と一緒にスコールがやって来ます。 過去仕入れ記にも書いてありますが厚手のデニム類の洋服とか強い冷房にご注意です。 タイ チェンマイのゴルフ ●このゴルフ場はパブリックなのでフェアウエイは一寸荒れていていましたがグリーンはベントのきつい(硬い)芝でした。パットのタッチが全くあわずスコアーは内緒です。おそらく傾斜を考えて強めにまっすぐ打てば(一番難しい)みんな入ってしまうと思うグリーンでした。 ●再会 実は今日のゴルフに向かう前、昨日食べた美味しいMango With Sticky Riceを今日もと思い朝からビールを飲みお腹を一杯にして食堂を出たとたんに、チェンマイに始めてきたときにお世話になったオートリキシャのMr,boomに出会ったのです。 いくら狭い街とはいえこんな事も有るのかと思い再会を祝しました。 ひとしきり話が弾んだあと今晩はどうするんだと言います。泊まっているのは去年と一緒の・・・・ホテルか?(チェンマイで一番高いホテル)。 Ummmmm一寸顔がひつってゲストハウスだといいます。そうかゲストハウスか、金が無いのか。 だんだん微笑がなくなってきました。やっぱり札入れに微笑んでいたのかーーーーー。これからタイに行かれる方は参考にしてくださいねーーーー。 ●灯篭流しのお祭りは日本のとちょっと違います。タイではかなりの灯篭が空に上げられます。作り方はごく簡単で和紙と竹でドラム缶ぐらいの筒を作り下だけ開けておきます。開いている下の部分に蝋燭を立て火をつけると中の空気が暖まって空に上がると言う気球の原理ですね。 見ていてヒーリングぽくってとても懐かしい気持ちがわいてきました。 日程の関係でお祭り本番の2日前にSinに向かいましたが次回は最終日まで滞在したいと思います。次回UP時にその写真を載せますのでお楽しみに。 ●上の写真から続きます<Mango With Sticky Rice>このお店はチェンマイのターペイStから堀の内側に入ってワット・プラシンに向かって左側の角から2軒目の食堂です。近くのゲストハウスに泊まりゴルフに行く前に何気なく寄ったら向かい合わせのおっさんがHi Japanyこのお店で食べるんだったらこれだよと教えてくれました。結局2日で4回も食べに行ってしまいました。 ●再びタイで衣食住 前に書きましたがタイの食事代は日本の5〜8分の一で済みます。上記のMango With StickyRiceは20Bおおよそ50円ちょっとです。それでカロリーと栄養は充分です。私は更にヌードルとビールを追加しましたが合計で250円見当です。タイの人には贅沢に見えるそうですが布袋様共々ニコニコの食事です。ゲストハウスの料金は150Bおおよそ400円10日以上の宿泊はもっと安くしてくれるそうです。 今回の仕入れ旅行はアジアは幾らで生活できるかの実験も含まれていましたので計算すると医療、衣料はおおよそ10,000円、食は全て外食で1食150円*3食=450円*30日=13,500円(ビール1日1本含む)、住は400円*30日で12,000円で合計35,500円大雑把で40,000円で済みます。これに時々はゴルフや派手に夜遊びを・・・と考えると8万円。ご夫婦だと夜遊びが無いので6万円×2で12万円となりますね。 変動要因は住のゲストハウスですがマンションを借りれば自炊で食が安くなりますしホテル住まいの場合は設備が良く高くなる等が選択肢です。 ●タイの微笑みは余裕の微笑? タイでのご挨拶は<こんにちはサワデイーカップ(女性はカー)>と<有難うコップンカップ(女性はカー)>で始まります。タイの国際空港(ドンムアン)でもフライト案内は最初にサワデイーカーから始まりコップンカーで終わります。 ほんとに気持ち良いイントネーションで言いながら手を胸の前で合掌して微笑めば完璧です。合掌する時間はわずかですがこの間合いがタイ時間です。合掌して微笑むことでタイの人達がこの日本人は物見遊山と違うと感じてくれて以降のコミュニケーションが格段に良くなります。その後のコミニュケーションは<旅の指さし会話帳>をお奨めします ●タイの飛行場:タイ、プーケット共に飛行場の周りがゴルフ場でした。日本で言うと金沢の小松空港って感じです。飛行機の中から見るとプーケット空港の周りのコースは緑のじゅうたんが敷き詰められた感じで、今度はここでライバルのM氏をケチョンケチョンにして最後に<正義は勝つのだ>と言ってみたいと時差ぼけの頭で考えていました。 横を見ると布袋様は外は暑そうだと言いながら汗を拭いていました。 ●タイの気候:日本と違って冬でも暖かい所から暑い所迄あります。夏なんかは国中暑くて街角ではみんな布袋様と同じ格好をしています。出来れば冬はタイで夏は北海道あたりで生活したいですね。 バンコックから南にいくと亜熱帯モンスーン地域に近づいて行き四季が無くなり雨季と乾季だけになります。同時に庶民も貧富の差がはっきりとしてきます・・・・。 ●タイで暮らす:庶民と同じ食生活をすれば月の食費は一人2万円弱、夫婦二人で3万円強です(これでも思わずご馳走様と言ってしまいます)。食事代ぐらいの金額を足せば釣り、ゴルフ、お酒、かわゆいオネーチャン等趣味を楽しみながら生活できます。15万円あればハウスキーピングを含めて全〜部アルファ波です。しかも国民の大多数が日本と同じ仏教徒ですので暮らしやすさは別格です。 ●タイで食べる:お奨めは食堂です(決してレストランではありません)。アジアでは食堂の入り口に食材と鍋・釜があり注文すると見ている目の前で作ってくれます。料理ができるまで温いビールで喉を潤して待ちましょう。ちなみに注文方法は地元の人が美味しそうに食べている料理を指差して、その指を自分に向けて微笑めばOKです。タイ語が出来なくても殆ど通じます。値段はどんなに高くてもおおよそ一品30〜40B100円前後ですがビールは万国共通で高いですよ。 ●5月中旬〜10月下旬迄の雨季について:一日に数回一時間ほど雷と一緒に豪雨が降ります。毎日朝から蒸し暑く黒い雲が出てきて雷が聞えてきたらそれは始まります。傘なんて物は全く役に立ちません。そんな時は近くのホテルか適当なところで強い冷房に注意して(雨で濡れていると即風邪を引きます)雨宿りしましょう。 ●現地での服装 @雨季は特に蒸し暑いので厚い布地の洋服は避けましょう。雨に濡れた時とか汗をかいた時の重さは3時間の時差ぼけ倍増させます。 A又、女性のノースリーブや短いパンツ等の肌を露出する服は地元の男の劣情を刺激し危険です、尚且つお寺に入場できません。(観光地のお寺では長袖、長ズボンを貸してくれます)。 B紐式の靴はめんどくさい。タイでは室内、お寺は日本と同様で靴を脱いで上がるのが普通です。タイの観光地めぐりはお寺が多く時々脱いだ靴が盗まれます(笑)、又高級レストランは靴を脱いで上がります。
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中 国の街角からヒーリンググッズ(癒しグッズ)過去仕入れ旅行記 |
●中国という国はなんて大きな刀は振れませんが、商売で行っても観光地に遊びに行っても簡単に馴染んでしまいました。 中国語が全く話せないので日本語かリトル英語で話そうとしても今度は向こうが全く話せません。最後は身振り手振り、筆談で買った地図を元に大騒ぎしてお互いいい加減なところで抱き合っておしまいです。結果的には全く違うことを分かった振りしているだけのことも多々ありました。 ●サウナの入り方 ほとんどの三つ星以上のホテルはサウナがあります(無いと三つ星が取れないみたいですね)。大体のホテルは割引券をくれます。行くとまずバスタオルとフェースタオルを渡されシャワーを浴びさせられます。その後三助がビニール張りのベットに素っ裸で乗れと言います。三助は赤ちゃん状態の布袋様共々ざらざらの布で体中を擦ってくれますがどうも刺青とかのチェックだけではないような気がします。それはまさしく日本人の体型チェックみたいな視線でした。フンなんだこんなもんかとせせら笑う雰囲気なんです。ジクショーと思いつつサウナと温い冷水風呂に入りガウンを着て別室1に行きます。別室1はTVを見ながらリラックスして食事、冷たいビール、爪、耳掃除、fish eaes取りを楽しめます。別室2はマッサージ室です。全部で3〜4時間ぐらい楽しめますが料金的には宿泊費ぐらい掛かりますので街角のサウナ屋さんの方がお奨めです。 ●まじめにトリビアを一つ ヒマラヤ山脈はどうして出来たのかご存知ですか? 答えは日本から見てオーストラリアはケープヨーク半島とアーネムランド半島が角みたいに出っ張っていますね。あの間の空間がインド半島です。そうですインドはオーストラリアから出発して中国大陸にめり込んでいる最中なのです。 ヒマラヤ山脈はそのため地面が盛り上がっているのです。それでヒマラヤ連山からアンモナイト化石が出てきたり石林の石柱に波の形が残っているのです。だからパキスタン辺りとか中国の昆明は地震が多いのです。この事は地質が同じと言うことで証明されています。又大西洋の両側はジグソーパズル状態ですがこれは離れて行ってる状況です。 ちなみに日本に当てはめると伊豆半島は熱海辺りで富士山の方にめり込んでいる最中なのをご存知ですか。 東海地震とか、関東大地震に気をつけましょうね。気をつけるたって逃げ口と非常食の確保ぐらいしか出来ませんけど。 ●そうそう忘れないうちに一つ独断と偏見を 気をつけるあまりに津波対策で太平洋側を防潮堤でぐるっと囲ってしまおうなんて予算案がどんどん作られていますが、こんなのは道路族議員辺りが道路予算頭打ちのため土建屋救済で作っている税金無駄遣い予算ですので気をつけましょう。 ●北京が政治の中心ならば上海は経済の中心でしょうか。上海の(に限らず)繁華街は40階建てぐらいのビルとかマンションが乱立して高い成長率がうかがえますし地下鉄とか有事の避難所をかねた地下商店街が沢山出来ています。でもその高層ビルのすぐ裏には今までのしもた屋とか長屋が無数にあります。布袋様は勿論そっちのほうが大好きですし、なんと行っても生活の臭いがします。 旧市街の中に入っていくとマーケットでは鶏とか(注文でその場で捌いてくれます)魚、上海蟹、肉、野菜等何でも売っています。最も鶏は日本に帰ってきた直後に鳥インフルエンザが大発生して今ではなくなったと思います。そうそう昔懐かしい蛇やさんもありました。 屋台でつまみ食いをしながら奥のほうに行くとだんだん暗くなって人通りが寂しくなってきて家々の玄関前には一人二人とタムロをまいています。あそこまで行ったら怖いから戻ろうとしても何故か足が進んでしまいます。gugugu困った。何なのだと思いつつ心と体は別に動きます。更に歩くと突然明るい大通りに出てしまいました。連れの布袋様が見当たりません、下町が心地いいのでどっかでひっかかったのでしょう。 ●布袋様に伺うと雲南省の街角は気候が温暖でとっても生活がしやすいとの事でした。隣々のチベット(西蔵)自治区に行くと親類が沢山いてこの辺は庭みたいなもんだと自慢していました。中国の人口は公式で13億人、非公式で+5%と言われていて世界の6人に一人は中国人です。最近ではインドの人口爆発がものすごく2030年には中国を追い越すと言われています。2030年の中国+インドのエネルギー増加は20%で世界のエネルギー供給量はパンクすると言われていますがどうなるんでしょか? 人類発生後初めての経験なので学習効果なんてものは無いので良く分かりませんが、国境なんてものは資源のある国と無い国の境目と言うことでしょうね。まとまりが無くて・・・すみません。 ●時系列は前後します。前回は詐欺師のおっさんでしたがいっぺんに着いた日に戻ってしまいました、お許し下さい。 中国訪問3回目の私にとってホテルチエックインは余裕です。何はともあれカウンターでパスポートとクレジットカードを出して少し引きつった顔でANA広告の長島監督さん風にニーハオと言います。フロントもニーハオと言いごそごそと書類を捜しますが・・・・一言Not Reserbations!奥で控えていた布袋様も立ち上がりまなじりを決します。でもいきさつは別としてお腹は空いたし困ったなと思いつつカウンターにもたれるとフロントは<大丈夫、部屋は空いているから貴方泊まれる、若いマッサージは欲しいか・・・・>と余分なことまでサービスしてくれますが明日早いのでと言葉を濁し無事に部屋に入れました。すぐに駅前に戻り街角の屋台で飯をと思いましたが・・・な、なんとビールが有りません。ようやくビール有りの屋台を見つけて上海、街角の夜は更けて行きます。ホテルに戻ったときは1時を過ぎていました。 ●上海・詐欺師のおっさん 義烏(イーウ)、成都、西安と7泊してさあ明日は成田で冷たいビールが飲めると上海に戻ってきました。今回の投資調査はずっと雨と雪が降ったりやんだりあいにくの天気でした。でも大連、北京とかの華北、東北エリアに行ったら吹雪の世界だからと、薄着の布袋様をかばい我慢しようと言うことで上海で傘をさして観光しました。体力は維持できているのですが天気のせいか気持ち的には落ち込みつつあります。 昼飯を街角の牛丼の吉野家で食べていると、それでも<人の不幸は蜜の味>と言う感じで痩せたおっさんが近づいて来て<自分はあさってから大阪に行きます。なぜ大阪に行くかと言うと大阪の大学の招きで私が作った手工芸品の作り方を教えに行きます。貴方は親切そうな日本人だから特別に行く前にその一部をお見せします。よかったら安くするので買いませんか?> (私と布袋様)ふむふむ見せてくださいな。 (詐欺師のおっさん)どうぞどうぞこの雑誌は私を紹介してくれた本です。これも一緒に見て下さいな。 (私と布袋様)aaaaaa・・・見たとたんひっくり返りました。何ですか、これはーーーー。日本では小学生しかやらない?切絵と墨で書いた絵の下書きじゃないですか。 (詐欺師のおっさん)私に取り合わず一方的に、これは?元こっちは?元と喚きます。 (私と布袋様)途中で舌でチッチッチとさえぎりウエイうるさいから向こうに行けと怒鳴ります。 (詐欺師のおっさん)一重まぶたの目を点にして口からは泡を吹きます。周りは事のなり行きでどっちにでも加勢できるような格好で身構えます。 (私と布袋様)そっちの目が点ならこっちの二重まぶたは三角だと天秤をつかみます。 (詐欺師のおっさん)・・・・・泣きながら下を向いていんちき商品をさっとつかんで店を逃げるように出て行ってしまいました。 (私と布袋様)ふと周りを見回すと他のお客さんは私達に目線を合わせません、詐欺師がかわいそうに見えたのかはたまた変な日本人が怖いのか。この手の詐欺で何人の日本人が騙されているのかね全く、と言いながらちょっと醤油がきつい吉牛を食べつくすのでした。 行かれる方は注意してくださいね。 ●中国での都市間移動のお話<中級編> 各種の汽車、飛行機に乗りましたがおおむね満足できるサービスでした。只凄いと思ったのは乗った飛行機が全部満席でした。バスとか汽車にも乗りましたがこれも全部満席です。懐具合で飛行機(ファースト、エコノミー)、汽車は各駅停車、快速、特急が有り(それぞれ寝台軟座席、寝台硬座席、軟座席、硬座席、自由席、立自由席)、寝台バス、バスと変わるんですがみんな満席です。 大都市の駅前には24時間営業の食堂、荷物預かり所、露天が立ち混雑時期はテント村が出来ます。切符を買うのにも一苦労で良い座席ほど役人、旅行会社が買い占めてしまいます。当然ダフ屋が横行し、又それを買う人がいて・・・・・。駅に切符を買いに行くと30程の窓口が有り一列ごとに50人ぐらい並んでいますが、その中に外人向けの窓口が一つだけ有り英語も通じます。私達旅行者は其処で殆ど並ばないで買えます(パスポートを持参してください)。ごった返すエネルギーがいやな方はホテルで手配してください。 長距離列車の立ち自由席は24時間〜38時間ひたすら通路で過ごします。みんな故郷の家族に会いたくて尚且つ大きな土産物を抱えて検札の人民軍、弁当売りのエネルギーに負けないようにして一生懸命です。布袋様共々東北の出稼ぎを思い出しましたが中国では広軌道なので通路が広くやや楽なのかとも思いました。 大都市に向かう汽車の切符は駅ではなく(中国語しか通じないので)ホテルで買いましょう。泊まっていなくても旅行会社ですから大丈夫です。ただし私達は発音がいい加減ですから都市名と乗りたい時間帯を書いて示しましょう。 ●中国の中心と言えば上海(経済)・北京(政治)となりますが大連は中国東北地方の商業の町といえるのではないでしょうか。歴史上日本ともつながりが長く日露戦争当時遼東半島海域を制するための軍港都市旅順(現在でも観光客は立ち入りを制限されていて203高地からも旅順港は見えないようになっている)と共に発展してきました。近年では日本からの工場進出が相次いでいて多くの現地法人が設立されています。 大連あれこれ 大連の飛行場を一歩出たとたんに猛烈なくしゃみが出ました。風邪をひいたのではなく寒いのです。11月下旬なのに空気を吸うと鼻がつんと来て胸の奥が痛くなるぐらいです。uuuuuubu寒い。布袋様寒いよーーー。????布袋様がいない、どこに行ったんだーーーー。後で聞いたら寒そうなのでそのまま飛行機を乗り換えて親戚のいる台湾に行ってしまったとのことでした。てなわけで今回は一人旅です。 予約したホテルのロビーに入るとなんと太ももまでスリットの入ったチャイナドレスの若い女性がニコニコ微笑みながらニーハオと言います。こんな経験はかつて有りませんのでどぎまぎして人違いだろうと思わず後ろを振り返ってしまいましたが誰もいません。 はてさて又々煩悩の世界かと思いきやスリットの隙間から看板が見えました。そこにはKTVの文字です。 フン馬鹿々しい、金がある人間しか用がない世界か。でも俺は金はないがクレッジトカードは有るぞ、使えるか?と聞いてしまう駄目な私です。(*KTVについて詳しく知りたい方はメールでお問い合わせ下さい) 再見と言いつつ通り過ぎて本来のフロントに向かいます。今回はすんなりチエックインも終了です。まだ表は明るいので散歩にと出かけましたが、さっきのチャイナドレスが手を振って行ってらっしゃいです。歩いていると不思議なことに外人相手の物売りが一人も近づいて来ません・・・。分かった、口をきかなきゃ同じ中国人になってしまうのだ、と思いつつやっぱり寂しいじゃないですか。で酒屋(増えてきたコンビにはありません)で冷たいビール、屋台で出来立ての熱い蒸し餃子を買ってベンチでハグハグしながら2日間の仕入れと夜遊びの予算案を練り直します。でもこの蒸し餃子はニンニクが多すぎるなと思いつつ意地汚く食べ終えました。これが後々尾を引くとは思いませんでした。 続きは次回。
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カンボジアの街角からヒーリンググッズ(癒しグッズ)過去仕入れ旅行記 |
●新着カンボジア(1) ベトナムのホーチミン(旧サイゴン)国際空港「タン・ソン・ニャット」経由で入国ですが空国には何も無くトランジットの3時間は市内に行くには中途半端で・・・困った時間でした。 ホーチミンを出て小一時間でシェムリアップの飛行場に着き安宿を探してたどり着くとあいも変わらず布袋様が居ます。 私;布袋様ソウル以来ですね、お元気でしたか。 布袋様;ウム最近お布施の集まり具合がはかばかしくなく、逆に貧者の一灯が多く背負った袋が軽くなって困ったもんだ。 私;収支が悪い、英語だとキャッシュフローが悪いですかね 布袋様;難しい話は分らんが300円の地雷を駆除するのに3万円かかると言う話を聞いたことがある。カンボジアは一説によると今でも1000万個以上の地雷が残っていてそれに3万円をかけるとワシの袋では幾ら有っても足らんわな。2年ぶりに来たが困ったもんだ 私;そうですね、とりあえず喉が渇いたしお腹もすいたのでアプサラ舞踊を見ながらビールとカンボジア料理を食べましょう。 布袋様;お主はいつもそれだな、どれどこか良い店は無いか? バイクタクシーの兄ちゃん;*@+/?%#&"!〜70 私;料金は70円でまかせてくれと言ってますよ 布袋様;うむ出発じゃ バイクタクシーの兄ちゃん;*+*&%$ 私;帰りも待っていますって 布袋様;何時になるか分らんからお帰り願いなさい 私;はい バイクタクシーの兄ちゃん;*-$#"&'`* 私;かまわないって言っています 布袋様;好きにしなさい 私;アプサラ舞踊はやっぱり日本の盆踊りの半分ぐらいの速さで踊るんですね、しかも男性が手にしている篭とかは日本の農家で使っている農具とそっくりですね。 布袋様;昔を思い出すとベトナムから中国の沿岸と日本を往復しているたくさんの船があったな 私;昔ってどのくらい昔ですかァ? 布袋様;千年か2千年前だな 私;布袋様は何歳ですか 布袋様;そんな昔の話は忘れたしかし踊っている女性は皆若くて・・・・・・だな・・・・・・・・・・・・・・・・ 私;結構日本の文化は東アジアの行き止まりでごちゃ混ぜになった、仏陀の指先でいえば動脈と静脈が入れ替わるみたいなところですね。 布袋様;又々難しいことを言う・・・・・・・・・・・・・・・・さて帰って風呂に入るか バイクタクシーの兄ちゃん;*#$%({@}?*・・・・ 私;アー待っていたの? バイクタクシーの兄ちゃん;*"#=~\>* 私;良い所に案内してくれるって言ってますよ 布袋様;いい所?お布施が集まるところかな? バイクタクシーの兄ちゃん;*Xxxx*+`&%$)# 私;男のパラダイスと言っています 布袋様;男のパラダイス? 遠くに雷鳴が聞こえる暗い駐車場で天秤を担いだ布袋様と布袋様の出腹に良く似た日本人そしてバイクタクシーが汗を流しながらなにやら話す風景は??????????????です。 布袋様;勝手に行きなさい。どうせ2年前の・・・・みたいなところだろう バイクタクシーの兄ちゃん;*$%#")'*/-+、*+-12R%&$ 私;お前らは馬鹿だ日本人と言うのは嘘だ、背中に悪魔が見えると言っています 布袋様;ウムお主はそうかもしれないがワシは違う。ワシは帰る 私;一緒に帰ります。でもこの前もそうでしたがパラダイスって見るだけは只ですよ・・・・・・・・ 私;あららバイクが帰ってしまいましたTohohoこの蒸し暑い中をホテルまで歩いて帰るんですか。 停電なのか街灯のない世界なのか分かりませんが真っ暗な夜道を歩き始めて20分、遠くにぽつんと一箇所だけ妙に明るい、多分あれがパラダイスかというネオンが見えました。中は楽しそうで若い女性の嬌声が聴こえてきます。 布袋様;駄目々変な病気が流行っているぞ、地雷を踏んではいかんのだ 私;そうですね帰って又ビールでも飲みましょうと言うわけでカンボジアのシェムリアップの夜は更けていくのでした。 光る稲妻と遠くに聞こえる雷鳴に混じるなんだか分からない鳥の鳴き声と路地にまばらに接する民家から聞こえる赤ちゃんの泣き声とあやすお母さんの子守唄、夫婦喧嘩の阿鼻叫喚、犬の遠吠え、晩ご飯の匂い、ナンプラーの香り、すえた匂い、気温35℃湿度80%の重い空気、ぬかるみを歩く足音・・・・アァここはカンボジア 続きを待て(笑) ●カンボジアのシェムリアップの夜は静か? 布袋様共々お世話になった街角のホテルはシェムリアップ川の川沿いに有る2つ星でした。以前にもちょっと触れましたが、夜になると時々しか通らない車の音と頻繁に通るオートバイの音が聞こえるだけの静かなシェムリアップ一番のメインストリート沿いでした。 逆に書くと<夜になると街一番のメインストリート沿いなのに静かで頻繁に通るオートバイの音と時々しか通らない車の音が聞こえるだけ>です。これは摩訶不思議な日本語ですが亜熱帯アジア特有の湿った空気の中での表現ですから深く考えないでくださいね。 庭にあるレストランであまり冷たくないビールを飲んでいると足元をヤモリみたいな四本足が走っています。きっと食べ散らかす客が多いんでしょうね。かく言う布袋様もお腹が邪魔になってテーブルの上にあるつまみを食べにくそうでぽろぽろ落としています。 布袋様明日はまだ片付け終わっていない地雷原を見に行きませんかと聞くと<フム、何も好き好んで見に行く輩なんかお前だけじゃ、待っているから行ってきなさい>とのごせんたくです。それではとおもむろにフロントに行ってバイクタクシーの予約をとSee,The land mineといったとたんにYou are craziness,Do you like what and you go to the dangerous place.とちょっと大きな声でたしなめれました。平和ボケした自分を反省する事しきりでした。Do permissionと言って戻ろうとするとフロントはhi japany暑い中 でのAngkor Watの見学は疲れただろう。30ドルでマッサージはどうだいと聞いてきます。お返しでちょっと大きな声でNo,I like what and go to quiet night and bet.と言いました。意味が通じたかどうか分かりませんが彼も苦笑いしていました。 何が起きるか分からない海外でのコミュニケーションは相手が分からなくてもお構いなく言っておかないとトラブルが起きたときに対処できませんのでご注意くださいね。 ●カンボジアのシェムリアップでないならどこだって? 読者の皆様良くぞ聞いて頂きました。でもここですと言ったら次に行くときにイミグレーションで入国できなくなる可能性がありますので永遠の宿題と言うことにさせてください。 話は変わりますがカンボジアの投資調査で今回は旅程の都合で首都プノンペンに行けませんでした。布袋様に伺うと<あそこはもっと蒸し暑く行くなら乾季(10月〜3月迄)が良かろう>とのご宣託です。営業期で言うと下期だなと会社勤めの昔を思い出しました。プノンペンはポルポトの戦争犯罪メモリアルがあってヒトラーに負けず劣らずの残虐な記録が残されているそうです。 う〜む怖さで痩せそうですねー布袋様!!。 ●アジアの袖の下文化:文化?な訳がないコンチクショーの顛末 なぜ袖の下なのか?彼・彼女らはみんな長袖のシャツを着ています。暑い、蒸し暑い亜熱帯でなぜ長袖なのか。おおむね荷物を検査する職種に多いのですが下を向いて荷物を検査しながらこちらにしか聞きとれない声でマネー?マネー!と呟きます。こっちはなんだか分からないので????。相手は同じ口調で金額を言います。その時に手の動きがゆっくりとなりバックパックの奥のほうまで検査が始まりかけます。しまってある煩悩を引きづり出されるのがいやでついついお金を出してしまいますが彼らは眼にも止まらない速さで右手で受け取ってそれを左手の袖の下に隠してしまうのです。書くと長いのですが実際はマネー?から始まって左手の袖の下に収まるまでは5秒と掛かっていません。 コンチクショーはその後、別なおばさんが来て彼女に出すんだったら私にも出せと言って来たんです。腹が立って大きな声で喧嘩しようとしたのですが前後があるのでそれも出来なくて不完全燃焼の出国でした。なおこの話はカンボジアではありません。カンボジアの人達はいい人ばかりでした。 ●カンボジアは熱帯モンスーン気候に属します。秋〜春の乾季で昼間は30度を越え湿度は凡そ70%を越えます(デニム系の厚い布地の被服は重たくていやになります)。又雨季はタイ以上で一日数回スコールがあり温、湿度は更に高くなります。そのため午後1時〜3時まではお昼寝タイムで歩いているのは野良犬ぐらいになってしまうそうです(私も昼寝していたので定かではありません)。その後やおら起き上がってシャワーを浴びてつめたいビールを飲んで再度アンコールワットを見学してムフフの世界が始まります。私と布袋様にとってホテルの必須条件はビールがよく冷える効きのいい冷蔵庫と広いベットが在ることです。 ●通貨はリエルとドルですがドルで買い物したときのおつりはリエルです。一回の旅行で2〜3カ国周遊すると通貨の換算が分からなくなります。私の場合はドルを基準通貨にして計算 しています。田舎の両替所に行くと円換算表示が無い場合もあります。 両替レートは最悪がホテル,まあまあが銀行と飛行場、以外に良いのは街角です。いずれにしても両替したときはレシートを受け取って、帰るときに余った現地通貨をドル等に戻す必要があります。カンボジアはタイバーツの両替も一般的です。 余談ですが両替するとお札がいっぱい来ます。平気で枚数を少なく間違えますので必ずその場で枚数を数えましょうね。多く間違える事はありませんので要注意です。かく言う私も何回かやられました(笑)。 ●カンボジア、シェムリアップの街は人口が多い割には、なんと信号が日本のORA予算で作った2つしか有りません。コンビニ(部屋で飲む冷たいビールが買える)はガソリンスタンドと併設で一軒だけです。街灯も少なく走っている車とバイクのヘッドライトは薄ぼんやりで心もとない明かりです。建物の壁はヤモリが蠢き、なんだか分からない動物の鳴き声とスコールの雷が聞こえてきます。 熱帯モンスーン特有の湿った重たい空気といつも停電する暗闇、そんな街角から夜が始まります。 ●まずアプサラ(天女)ダンスショータイム付のレストランに入ります。大体がビッフェ形式のバイキングでおおよそ8j〜12ドルでカンボジア料理のご馳走が食べ放題です。アプサラダンスを見て思うのは音楽のリズムと踊りの動きが全く合わないという事でしょうか。ここまで違うとたしかに覚えるのは大変だと思います。 でもやっぱりビール(別料金)は温いので、お嬢さんもしくはお兄ちゃんに頼んでキュービックアイスをもらいましょう。でもお腹の弱い人は気をつけてくださいね。ショーが終わったあとは踊り子さんたちと記念撮影して1jのチップを弾みましょう。 ●ホテルに帰るときはバイクタクシーがお奨めです。お土産マーケットや20jで済んでしまうムフフの暗闇に1jで送ってくれます。そこはレストランなのですが入ってびっくり数十人のお客さんが全部若い女性なのです。中庭でバイクを降りると裸電球が数個燈る薄ぼんやりしたその空間は、日本人は初めてだと言ってもう大騒ぎです。何人かお友達になってその後はお好きなようにしてください。 布袋様から見ると帆掛け舟から突き落として因幡の白兎にでもしてしまいたい状態です。 ちなみに物価はタイより安くベトナムと同じぐらいでしょうか。食堂で一食ビール込みで200〜300円。レストランで500〜600円。1ドルの価値は凄いのです。 ●翌日は早起きしてアンコールワットからの朝日を見て昨夜のムフフッとアッヘを清めて、ホテルに帰って朝食を食べて再度のアンコール遺跡群の見学です。雨季は雨が多いのでサンライズ、セットが見れるかどうかは運次第。午後の飛行機でバンコック、ラオスかホーチミンに戻ってゆっくりマッサージなどを楽しみましょう。(帰りの税関・イミグレーションは袖の下が横行していますので要注意。) |
ベトナムの街角からヒーリンググッズ(癒しグッズ)過去仕入れ旅行記 |
●ベトナムは海沿いの細長い国で中国に近い(の強い影響を受けている)ちょっと貧乏なハノイと(外貨を稼いでいる)経済的に豊かに見えるホーチミンが二大都市ですが性格とか経済力も長袖とTシャツぐらい違います。生活は楽だと思うのですがお金は回ってないですね。 ●なぜベトナムの街角かと言うとベトナムは過去に来たことがあるからで、更に物価が安そうでもう一度街角でアオザイの女性を見たかった?な訳ありません。 自分の若気の至り四十数年前を思い出したかったのです。結果はあまり良くなかったですね。 ●行けば何とかなるだろうと思ってましたがとんでもなかった。自分でも笑っちゃったのは日本語しか話せない一人旅で最初にベトナム ホーチミン(旧サイゴン)のホテルにチェックインしたあとの事です。ベトナムは2度目なのに最初の2時間ぐらいは(前回はパック旅行)怖くてなかなか外に遊びに行けず部屋でタバコばかり吸っていました。 いけない、これではいけないと思いフロントの兄ちゃんと夜のサイゴン観光について地図を見ながら大昔を思い出してのリトル英語で情報交換(かっこ良い)して思い切って街に出ました。そこで見た風景は7年前に来た時と同じ自転車とバイクの洪水でした。街角の信号なんて自転車とオートバイのために有るんで横断歩行者は全く無視されています。しょうがないので地元の人の後ろに背後霊みたいにくっついて渡ったり、爺婆にチップを渡して手をつないで連れて行ってもらったりしました。 ●2日目、3日目になると慣れてきて、デジカメのメモリーが足りなくなって富士フィルム現地法人に行ってカメラ屋さんを紹介してもらったり、JCBホーチミンで日本人を探したり、安いホテルに宿替えしたりしてどんどんベトナムの街角に馴染んで行きました。 3日目の午後に次の目的地ハノイに着いた頃にはベトナム民族衣装のアオザイ姿の中身をゆっくり品定め出来るようになっていたのが不思議です。 ●ベトナム戦争のことですが、今回のベトナム旅行の後タイ、カンボジアを周遊することになるのですがアメリカはベトナム戦争のため日本も含めて各国の基地を利用したり食料確保のための後方基地を周辺国に準備しているのですね。中国の支援があったとはいえ火力では圧倒的な差が有る国と戦い最終的に勝てたと言うことは凄い事だと思います。 翻っておおよそ35年後の今を見るとドイモイ政策で外国からの資本を取り入れて産業を呼び込もうとしていますし観光にも力を入れています(でもやっているのは中国のコピーばかり)。早く発展してもっともっと女性と子供の笑顔が素敵になってほしいですね。 ●突然ですがこの文章を書いていて気恥ずかしくなってきました。初めて接する方に過去の自分のことを読まれると言うのは(しかも主感のみの内容で)・・・。顔を見ながら・酒でも飲みながらなら嘘八百、誇大拡張みんな冗談で笑って過ごせますが。でもマー恥ずかしくても、各国で極悪非道なことはしていませんので。 布袋様は出る幕がなく不貞寝状態でした。
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シンガポールの街角からヒーリンググッズ(癒しグッズ)過去仕入れ旅行記 |
前置き <私>おーい布袋様だいぶ寒くなってきて薄着で大変だねー。あったかい所に行きましょうよ〜。 <布袋様>MuMu・・・・・最近日本は不況から好況と言いつつお布施が少なくて担いだ袋が軽くなっていかんわな。仏教国ならそれもよろしいな。 <私>じゃー東南アジア方面で格安航空券を探して質素な行き当たりばったりでタイなんかどうでしょうか。 <布袋様>Umu、任せる。 <私>カタカタカタ・・・・(パソコンの音)これは如何でしょうか? <布袋様>どれどれタイのチェンマイ10日間FIX、シンガポールでトランジット72時間付きで・・・・・円よし決めた。 テナわけで11月17日の夜便で成田の第一ターミナルを出発しました。いつも思うのですが成田の第一ターミナルはアメリカ、ヨーロッパ方面が主体でお金持ちが多いと思うのですが殺風景でなおかつDepロビーは寂れた感じがして元気になれません。早く工事が完成して第二ターミナル並みの明るい照明と冷たいビールが飲めるレストランがたくさん出来て欲しいものですね。 さて今回の搭乗機はシンガポールAir(SQ)です。SQは以前カトマンドゥのRAフライトキャンセルの時に帰りにお世話になった会社です。成田を18時過ぎに出発してChangi Int Airportに着いたのが1時30分でした。スッチーの白石さんにたくさんビールのお代わりをして、更に図々しく今日は誕生日ですと話したら素敵なプレゼントを頂きました。白石さん有難うございました、このHP見て下さいね。 さて目的地のタイチェンマイ行きは8時30分です。果てさてどうやって時間をつぶすかいな、取り敢えずタバコをと思って広いターミナルの中で一箇所しかない屋外喫煙所に行きましたがこれがラッキーの始まりでした。まずその向日葵公園なる喫煙所の横に20座席ほどの無料終夜映画館があったのです。周りを見回すとそのフロアーには24時間営業の7〜11(セブンイレブン)、トランジット用の宿泊設備、シャーワールーム、スポーツセンター、荷物預かり所が集まっていました。 これなら帰りにトランジットしてここで一晩過ごせるなと思いました。布袋様は向日葵公園で深夜ながらも蒸し暑さが快適と見えてニコニコしています。 当然7〜11で冷たいビールを買って飲みながら映画を見て熟睡体制に入りました・・・が。 上映していた映画がホラーなのです。目の前の大きなスクリーン一杯に引きつった女性の顔と叫び声とかピストルがバンバンとうなりをあげます。もちろん血しぶき付です。 布袋様は<大馬鹿者>と叫んで出て行ってしまいました。なんで眠れなくする映画をやっているんだ!!!!!。Changi は旅行客が飛行機の乗り遅れるのを心配でもしているのかと毒づきながらもアイキャップと耳栓を出すのも面倒くさくて寝てしまいました。でもやっぱりうるさくて4時過ぎに目が覚めてしまい更に買ったビールを飲みながらタバコを吸う日本人一人でした。8時30分のチェンマイ行きはSilk AirですがSQの国内線といった感じで、シンガポールー風のデザインを残したワンピース姿のスッチーでした、機内で又々朝食を食べながらのビールです。 この続きは観光地でのエピソードですが次回更新時に・ タイ、チィンマイでの仕入れが終わって今回の仕入れ旅行後半のスタートです。 10時にチインマイを出て14時にSinチャンギ空港に着きました。行きに7時間ちょっとトランスファーしてますのでまず荷物預けです。勝手知ったる・・・なので、他の人たちが?の目で見るのを横目に別の方向に歩き出します。これで身も心も軽くなり笑顔でイミグレーションを出て次は両替です。更にSQに寄って25日の帰国便のチエックインです。SQはリコンフォームはいりませんが座席がエコノミーですので万全を期しついでに好きな座席をリクエストします。最後にホテルの案内所によってサリーの小母さんに部屋タイプと金額を言ってリストから探してもらいました。身振り手振りでお願いしてHotel Bencoolenのツイン(シングルは満室)を88,85S$(1%コミッション)で予約出来ました。 後で分かったのですがHotel Bencoolenはロケーションが抜群でラッフェルズ、オーチャードRd、MRT Bugis駅の中心でした。MRTでBugis迄行ってHotelの部屋に着いたのが6時前でした。布袋様は疲れたと言いつつベッドに寝っころがります。布袋様は何歳なのか知りませんがチェンマイでお布施が沢山もらえて袋が重くなって疲れが取れたはずだと思うのですが・・・ シャワーを浴びて布袋様に起きていただいてラッフェルズタワー、マーライオンの夜景を見てチャイナタウンの街角に行って屋台でちょっと遅い晩御飯を食べました。移動はタクシーを使いましたが手を上げても横に出しても最後は体を出しても止まってくれません。 そばにいたシンガポーリアンに何で?と聞きましたが<Japany普通タクシーは電話で呼ぶかタクシー乗り場で乗るんだよ、流しのタクシーは青い車体だけだよ。今日は青色のタクシーはみんな客が乗っているから運が悪いんだよ>と教えてくれました。お腹が空いて段々腹が立ってきました。布袋様と私の<腹が立つ>と<腹が空く>は同義語かもしれませんね。 待つこと10分、ようやくタクシーが止まってくれて乗り込むやいなやPlease I go to ChinaToun !and I was hungry Chines restaurant.と叫んでしまいました。運転手はOK、OK I’m hurry up.です。Sinの街角の食堂は屋台がばらばらに出ているのではなくホーカーズと言って屋台村になっています。適当に座ってたくさん有る屋台で食べたいものを注文してテーブル番号を言うと運んできます。席を確保した後に食べたいものを探すのですが、一人の場合は座席に盗まれてもいいようなものを置くとか他の料理を選んでいると先に持ってきてしまうとかめんどくさいですね。レストランの値段の5分の一だからマーいいか。ちなみに串焼き10本とおかゆ、ビールで日本円1000円ぐらいでした。次回写真を載せますね。 お腹が一杯になって気持ち良くなってサー帰ろうとMRTの駅を探します。歩いていると狭い路地の奥のネオンがおいでおいでをしています、布袋様は狭くて通れませんので一人で路地に入り込むとさすが中華街でネオンにはKTV(女性の接待つきカラオケ屋さん)の文字と傍にチャイナドレスの美女?が立って微笑んでいます。U・・・m腹ごなしに・・・・・。Sinの街角の夜は更けていきます。 さてMRTにたどりついてBugisに戻り地上に出ると夕方の光景と違います。シンガポーリアンに道を聞いたのですがみんな首を振ります、しょうがないので歩いているといつのまにか観光地のアラブストリートを歩いています。時間も0時を過ぎていて店はみんな閉まって人っ子一人いません。ツーリストが街角で襲われるのはこんな時だろうなと千鳥足を早足にしましたがお酒と食べ過ぎで苦・・苦しい・・・。部屋に戻ってシャワーを浴びてバタンキューでした。 初日はここでお終いですがまだまだ明日の心だ・・・。続きは次のUpにて・・・・・・・。 さて途中降機の滞在時間は72時間までと決まっていて、今日が最終日となるので忙しい一日が始まります。行きの機内でもらった観光路線バスの割引券を握り締めて30分に1回のバスを待ちます。10分、20分と待ちます。来るのは他の路線バスばかりで排気ガスを浴びせていきます、ついに40分経ってしまい忍耐も限度を超えました。布袋様共々一声も声を出さずむっとしてバス停を後にとぼとぼ歩き始めます。グヤシイ・・・・。 歩き始めて20分でラッフルズセンターに着きぶらぶらしているとタクシーの客引きが来て「シャチョウサン、シャチョウサン「アナタ イチニチダトスゴイヤスクスルヨ ゼッタイオトクダヨ」と言います。からかって幾らと聞いたら1000S$約8万円。あきれ果て布袋様にいたってはその車に向かって天秤を槍投げのように構えてしまいます。客引きもしまったと思ったのか「ジャーどこまで行くんだ」と聞いてきます。試しにオーチャードロード(約2km)と言ったところ100S$(8000円)です。思わず日本語でアホ、馬鹿、間抜けと喚いたら敵もさるもの笑いながら他のカモを探しに行きました、皆様気をつけてくださいね。 この辺で昼になりお腹がすいたのでラッフェルズセンター地下1階のホーカーズに入りました。実は英語を話すのがめんどくさくなり指先だけのアレ、コレで済む所を選びました。なんだか●ー●堂、マル●●、ジャ●●(柏は多いんですよ)の食堂みたいな雰囲気ですが味はまあまあでした。 食べ終わって今度はセントレーサ島です。地下鉄に乗って島の入り口HarbourFront駅に着くとスコールの最中です。温湿度がともに強く滲み出て来る脂汗と緊張の冷や汗が絡みつき疲れてきます。 島に渡るケーブルカーのチケットを買おうと切符売り場を探しますが通りの両側から手、声とか体が湧いて出てきます。彼ら(彼女達)はセントレーサ島の観光パビリオンの組み合わせでチケットを売っているんですね。布袋様共々エーイうるさい、島でそのつど買うわいと言って切り抜けます。ところがようやくたどり着いたチケット売り場でもセット券購入させようとします。ここはめんどくさいのでNo,No・・・・で済ませます。 わけの分からないカップル:ケーブルカーで乗り合わせた二人連れですが年の差は親子ほど有りお父さん風情(ふぜい)は小太りの鼻毛丸出し、娘風情はすらりとした・・・・・。 モロに乗り合わせたのが迷惑と顔に書いてあり、話す会話は英語と中国語がちゃんぽんです。 お父さん:ニコニコ一生大事にするよ 娘:ニコニコ下を向いてもじもじ お父さん:将来シンガポール一番の高級住宅地セントレーサ島に済めるようにがんばるからね 娘:お父さんが無理やりに握った?手を見つめながらulu,ulu お父さん:娘の耳元でゴチョゴチョ・・・・・ 娘:恥ずかしそうにみもだえる(古い表現ですね・・・) 私:こんな話しはどこにでもあるんだよなーと会話が分からない振りして日本語の観光放送を聞く10分間でした。お邪魔でごめんなさいね、でも文句は係りに言ってくださいねー。 着いてから天秤がケールカーに乗らないで陸路から行った布袋様と合流して観光しましたが、浦安のTDLと同じ面積ぐらいの島がテーマパーク化されていてフンフンの世界でした。Sin観光局様ごめんなさい。 傘の役立たないスコールの中を歩き回ることも出来ずケーブルカー乗り場の近くのマーライオンを見て終わりにしましたが、ケーブルカー駅の傍の回転ランドタワーに乗ったら日本人パック旅行の人たちがガイドにいいようにカモられているのを見てしまい寂しかったですね。 タワーを降りてから冷たいビールとスナック菓子を買ってタバコを吸う満足の私でした。 又々雨中をケーブルに乗りセントレーサ島を後にして今度はオーチャードRdの散策です そうそうシンガポールは世界でも歩きタバコとかチューインガム・ごみ捨てに激しい規制と聞いていましたのでオーチャードRdでウォッチングしたら、結構歩きタバコはいるしゴミ箱の周りはバッチク汚れていました。よかったのは電信柱が無いので張り紙、立て看板はありませんでした 続きは「お土産を買う」の心だー セントレーサ島を後にしてMRTでオーチャードRdに戻ってきました。目的はシンガポール自由旅行專科というHPで隠れお土産No,1のマンゴープリンです。昨日スーパーマーケットで冷たいビールを買ったときに見つけておいたのですんなり買えるはずでした。 ところがやっぱり昼と夜の風景が全く違うのです。おーい布袋様〜歩いても走っても昨日のスーパーが見つかりませんよーーーー。ふん、お布施は順調に集まっておるわい、お土産なんぞ知らぬの一言です。結局オーチャードRdを2往復してたどり着いたとき、下半身はボロボロ上半身は汗だらけで、かたや相棒の布袋様は重くなった袋でニコニコ涼しい顔です。 Ummmマンゴプリンと一緒に買った冷たいビールとかっぱ海老せんでしばし休憩。今日のメモには最高のエビフライディナーだったと書き留めておこう。 次はナイトサファリ(夜間動物園)ですが、歩き回った時間ロスで中途半端な小一時間が出来てしまいました。 チェンマイだったらアレをしてこれもと行くのですがSinはちょっと違います。まさに「アジアの街角」状態でマンウォッチングをしていると肌色は黒〜白まで、服はスーツから始まってサリー、チャイナドレス、アオザイ風、エジプト風、ジーパンにTシャツまで(さすがに着物はいませんでした)ごちゃごちゃと歩いています。歩きタバコ、ガムごみのポイ捨ては圧倒的にジーパン、Tシャツでした。人間暗くなるとやっぱり-----ですね。 人相学的には顔の凹凸で行くと一番鼻がとんがっていて目が窪んでいる白色系と私を含めての黄色系ではおおよそ13.5oぐらい違うでしょうか。日本の人相見は白色相手のときはどうするのかなとつまらない事を考えてしまいます。 さていよいよ最後のナイトサファリです。昨日の学習効果で青色タクシーを止めてI'm go to the knight safari pleaseと言うとドライバー?、ガイドブックを示すとOh understanding let's goで急発進です。すぐに4車線の高速道路に乗りゴーカート状態でバンバン突っ走ります。 怖いよーと叫んでもドライバーは何を勘違いしたか鼻歌で更に加速します。周りは「街の明かりがとても綺麗ね横浜〜」(誰の歌でしたっけねー)状態から反戦歌の「夜明けは近い」闇夜の世界に移り変わっています。 俺はこのままSinに埋められて行方不明の日本人になってしまうのだろうかと心配が極限まで高まった瞬間に明るくなってナイトサファリのゲートに着きました。バックパッカーをいじめるなよと思いつつふらふらと降りてチケットを買います。 ナイトサファリ動物園はSin島の真ん中に位置していて夜行性の動物を集めています。ここで見たアニマルショーは至極まじめなコミックショーで観客席の足元から3mの蛇が出てきて驚かせたり、空を猿が走り回る仕掛けです。皆様も機会があったら一見の価値有りです。でも日本の温泉地あたりでやっている裸女が蛇を体に巻きつけたりはしていませんので変な期待はしないで下さいね。 ショーが終るとトリム(遊園地でお猿の車掌さんが運転している汽車ぽっぽのバス型)に乗って日本人ガイドの説明を聞きながらの園内一周です(日本語説明トリムは一晩に2回しかありません)。 遠くでスコールの雷が鳴り夜空が光る中を走り出すとそここにフラミンゴとか虎、象・・・覚えきれないほどの動物が歩いています。普段日本の動物園で寝そべっている動物はみんな夜行性だったんですね。 さてここでまじめな話を一つ:ガイドが話していた中で一番印象に残ったのは「アジアの虎は後十数年で絶滅する」との事です、乱開発が原因との見方もあるのですが一番の原因は精力剤の原料として乱獲されているとの事です。動物園でしか見られなくなるのは嫌なので男性諸氏は精力剤なんか買わないで体力をつけてナイトライフを頑張りましょう。 私はこの後園内を歩いて(全長5キロの遊歩道があります)回る予定だったのですが足がボロボロな為リタイヤです。適当にビールを飲んだり受付の女性とコミニュケーションして時間調整です。 続きは次の心だー
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韓国ソウルの街角からヒーリンググッズ(癒しグッズ)過去仕入れ記 |
韓国ソウル雑感その壱 私;いつもの調子で「おーい布袋様こんな葉書が来ましたよ」 布袋様;ナンジャナ、どれどれJAL・マイレージカード・ポイント・プサンorソウル航空券有効12月一杯・・・・・ 訳すとJALからマイレージが溜まったのでプサンかソウルの有効期限12月末日までの無料往復航空券をお使い下さいと書いてあります。 せっかくだから行きましょうよ ソウルか、寒そうだな・・・・・・・・・・。何々「冬は中国大陸からの北風が強く1月〜2月の最低気温は−15〜-20℃・・・・・・・・・・・。11月は0℃ぐらい・・・・・・・・。だんだん無口になります。お布施は集まるかなー?大連も寒かったなーとか後ろ向きの生返事が続きます。 ソウルのオンドルの床暖房は暑いぐらいでとっても気持ちが良いそうですよとか話すと乗り気になってきてでは参るかとのご宣託がありサー儒教の国 韓国にいざ出発です。 最近、要領が悪く時間が幾ら有っても足りない状況なのでいつもの「旅の指差し会話帳韓国」だけ買って、後は珍しくHISとKONEST TOUR観光社にホテル(3日分だけ予約)と市内観光、板門店ツアーを予約丸投げです。今回のフライト予約は行きが成田〜仁川、帰りは金浦〜羽田で予約です。旅行業者に聞くと行きと帰りの発着空港が違う旅行形態はダブルオープンジョー(鮫の口)と言うそうですね。 JALの機内軽食(サンドイッチ)は冷たくて何の味も無くせっかくのビールがだいなしです。JALのサービスも冷たくなったとの駄洒落が出ちゃいますね。 1時過ぎに仁川に着いて最初にやったことはインフォメーションに寄って市内地図をもらうことから始まりました。私;アンニョンハセヨ・・・・ガイド嬢;いらっしゃいませ、どんなご用事ですか? 私;・・・・・・・・!!あのー市内の地図が欲しいんですが、それからロッテホテルに行きたいんですが一番安い行き方を教えてください。ガイド嬢;承知いたしました、ちょっとお待ち下さい。 なんのこったい全部日本語が通じるんですね。 私;日本語が上手ですね。ガイド嬢;ぽっと顔を赤らめ恥ずかしそうに「ちょっと勉強しました」・・・・・・ 布袋様;Ummmmmm韓国は良い国だ、気に入ったと天秤をぶんぶんさせます。でも残念ながら長居する理由が見当たらず移動です。 教わったとおりバス乗場で切符を買い席に座るとドライバーがシートベルトをするよう言ってきました。もたもたしていると隣の叔母さんが手伝ってくれカムサハムニダ(ありがとう)です。そうすると答えが「どういたしまして」なんて返ってきて又々びっくりです。 バスは10分ほどで金浦航空に到着しましたが高速道路が立派でした(行ったことはありませんが瀬戸内海の本四橋見たいな感じです)。台湾と一緒でいざいというときはジェット機の滑走路になりそうですね。地下鉄はレールが広軌で幅が広くゆったりしていました。うつらうつらしているとどうも乗り越した気がして降りてみるとやっぱり一駅余分でした。布袋様;初めての韓国で居眠りして乗り越すとはたわけものめ、何か有ったらどうするのじゃと言いますが隣でいびきをかいていたのは誰だ・・・・・・。反対側のホームで電車を待つ同行二人でした。 続きは次回を待っててくださいね 韓国ソウル雑感その弐 私はパックツアーよりも個人旅行が好きです。と突然自己主張が始まりますが今回のソウルの旅行でちょっと考え方が変わりました。と言うのも参加した市内観光ツアーがガイドさん付きでアゴ、アシを任せると「旅行ってこんなに楽チン」とは思っていなかったもんでして、尚且つ一緒になった家族単位の皆さんが「幸せ」と言う風情に感服しました。これは割高の部分に「安全」と言うキーワードが入っているんでしょうね。 と言いつつ今回のパック旅行の部分は市内観光と板門店だけです。残りの時間は自分で手配と言うか好き勝手にしなければなりません。取り敢えずは仁川空港に着いた日の午後〜翌朝の市内観光集合時間10時までです。 仁川空港からロッテホテルまで「アンニョンハセヨーこんにちは」、「チョー→あのーちょっと」、「チェ−ソンハムニダ→すみません」、「カム サ ハムニダ→ありがとう」四つの単語でのりきって来ましたが思いのほか日本語が通じて快適です。Hunhun,Hunhun布袋様の天秤も快適に回っていますね。地下鉄も快適ですね。みんな親切にしてくれますね。ホテルのフロントもOKですね。みんな、みんなGoodですね。 でも焼肉屋さんの空調は何とかして欲しいですね、地下鉄の行き先表示は分りやすくしてほしいですね、民族衣装のチマチョゴリを着た人を見たいですねとケチをつけてはいけません。言い換えれば焼肉の煙が服に付かない様に空調している、表示は東京のほうが難しい、着物姿の日本人もめったに歩いていないとなります。又、日本語が通じると言うことは韓国の人達がみんな勉強しているから分るんだと思えば感謝ですよね。 知らない国の街角でふとたたずんだときに思うのは「決してその国の文化にケチはつけないで褒め倒しちゃいましょう」特にソウルは日本語が通じるので壁に耳あり障子に目ありです、ケチをつけると、いつ何時地元の人に伝わるか知れません。お互い気持ちよくしましょうね。 焼肉屋さんの28000Wは焼酎の四合瓶とビール、ジュースが入って尚且つ2人前の値段ですからやっぱり安いんですよ。これで味さえ分れば最高でした、唐辛子に負けた自分の舌が恨めしい、でも今度は七味唐辛子を持ち込もうと思いました。ちなみに七味を英語で言うとセブンペッパーです(笑)。 22時すぎにホテルの戻り爆睡して翌朝7時過ぎに起床して市内観光集合場所のロッテホテルに向かう健康そのもの同行二人でした。 続きは次号「韓国ソウル雑感その参」で。 雑感その参 ようやく旅程の半分まで来ました。ウル市内一日観光コースが終わったあと何を間違えたか午前中にツアーガイドが紹介してくれた韓国海苔屋さんに追加の海苔を買いに行く私とお布施集めに余念が無い布袋様がいました。疲れきった肉体に鞭を打つかのようにツアーの解散地ロッテホテルから南大門に歩を進める私です。 おーい布袋様さっきの南大門でだいぶお布施が貯まったみたいですがもう一回行きましょうよ。humuhumu行こうではないか。 ツアーガイド嬢に道を聞くと「タクシーが早くて安い」「こっちは昼食の石焼ビビンバで腹が膨らんだまま、歩いていく」ガイド嬢曰く「勝手に行きなさい」。hun坂を上って2本地下道を抜ければ良いだけじゃないか、行ったるわいと見得を切ります。 そうそう宇都宮駅の近くに南大門と言うスパー銭湯と言うか健康ランドが有りましたね。その隣は家電の安売りで有名なコジマ電気の1号店がありました。コジマグループは栃木県の高額納税者で有名なんですよ、もう一つは元気寿司グループでしたね。後は宇都宮餃子とか地の利を生かした自動車メーカー(ホンダ、日産)の工場も結構有りましたね。 関係ない話題で御免なさい ところで明日は今日休みだったソウルで一番有名な景福宮に行くしか予定がありません。しかも泊まっているブラウンホテルの予約が明日で終わってしまい板門店ツアーの後のホテルが決まっていません。このままでは野宿?ナわけがありません。疲れきった頭がソウルで一番高いホテルか安いホテルなら絶対空いていると囁きます。ここで助かったのが初日に仁川空港からたどり着いたKONEST社の下請け?大韓旅行社です。ブラウンホテルのキャンセル待ちがOUTの場合はどうしたらホテルを探せるかという事を含めて韓国観光公社を教えてもらっています。 この韓国観光公社はフロントに日本語が出来る小母さんがいて尚且つロビーに4台のパソコンを備えています。パソコンはお願いすれば日本語環境をセットしてくれます。最初は知らないでローマ字でメールを打つなど苦労しましたが2回目は勝って知ったるなんとかで快適です。ただ残念なのは30分経つと突然初期画面に戻ってしまうことでした。各位につまらないローマ字のメールレターメールレターを出してごめんさいね。 取り敢えずはホテルタイプの安宿でYMCAの予約をお願いしたのですが電話がつながりません。あと一日時間が有るので今日はここまでです。ちなみに韓国観光公社はロッテホテルから仁寺洞に向かって歩いて10分かかりません。ソウル市内は結構狭いのが実感できますよ。更に20分歩くと明日の目的地ソウルで一番大きい景福宮です。アメリカ大使館、各国の大使館、土建業の大林組、仁寺洞、徳寿宮、旧ソウル市役所、隠れた地元名店食堂等々観光スポットがたくさん有ります。 では今日はここまで、続きはその四で 韓国ソウル雑感その四 韓国ソウル雑感その五 |
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